天皇陵の謎を追う を読む

 古墳といえば、仁徳天皇陵に代表される巨大前方後円墳のことで、そのすべてが大王、天皇の陵、あるいは王族皇族、トップクラスの豪族(筑紫磐井や蘇我馬子のような)の墓である、というのが一般的な日本人の認識ではないだろうか。

 北海道から茨城に移って驚いたことのひとつは、関東にもたくさんの古墳が存在していたことだ。
 その一つが、栃木県の侍塚(さむらいづか)古墳群で、那珂川の右岸に上侍塚、下侍塚古墳がそれぞれ松林を頂いて美しく佇んでいる。
 もう一つは、家庭教師をしていた生徒宅の近くにあった茨城県の虎塚古墳。こちらは歴史の教科書にも載るほど有名な赤色の壁画がある古墳だが、まさかこんな農村の一角にあるとは思ってもみなかった。


天皇陵の謎を追う (中公文庫)
中央公論新社
矢澤 高太郎


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 本書は、天皇陵とされている多々の古墳について、一般にはなかなかうかがい知ることのできない宮内庁及び文化庁の管理の実態と、古墳を取り巻く問題点について記載したものである。

 現在「○○天皇陵」と名づけられている古墳について、被葬者の真偽が怪しいということは、多少考古学に興味のある者ならすでに常識であろう。
 わからないなら調べればいい、と普通の科学者は思うだろうが、そこは「天皇陵」。多くの古墳は宮内庁の管轄下にあって、「陵墓の静安と尊厳を守る」とかいう決まり文句で基本的に立ち入り調査は認められないらしい。
 常々、ピラミッドにも比肩される仁徳天皇陵などの巨大古墳が、世界遺産や観光資源として活用されないのが不思議であったが、それも、「天皇家のご先祖様のお墓」と思えば、宮内庁が及び腰になるのもわからなくもない。 

 本書では、まず仁徳天皇陵を俎上に載せ、市街地に半ば埋もれた古墳の現状を怒りに満ちた筆致で説明する。
 次なる古市古墳群では、古墳にそれぞれ天皇名が架されたプロセスと、それが考古学的年代からいかにずれたものであるかが述べられる。

 また、巨大古墳であってもそのすべてに天皇名が付けられているわけではなく、「陵墓参考地」というカテゴリーで扱われる古墳もある。
 天皇陵の選定は主に古代の文献に記載された天皇陵の記事、つまり文字情報に合致する陵墓をパズルのように当てはめていったので、当然記載に合わない陵墓が残り、それを「参考地」としたようだ。
 巨大古墳を造営できるほどの有力な天皇(当時は大王)はすべて陵墓が選定されているから、巨大古墳が「余って」いるのはそもそもの選定が間違っているからに他ならない。

 そのほか、本書には地震考古学の話や、考古学界における天皇陵研究のあれこれ、陵墓の形態の変遷など、天皇陵をとりまく話題が一通り収められている。

 筆者は読売新聞の元記者で、長く考古学、古代史を担当していたらしい。本文中に朝日新聞への敵意をむき出しにしたところが散見されるが、出自を思えば仕方ないだろう。
 杜撰で無責任な文化庁を批判したり、抜け駆けをした考古学者を糾弾したり、「わからないなら古墳を掘れば?」と言う愛国心のかけらもない堕落した日本人に憤慨してみたり、筆者はなかなかに忙しい。
 
 彼は恩師の口を借りてこう表現する。
 -「天皇陵古墳の発掘は日本人が日本人であることの自覚と誇りを取り戻し、確固たる国家観、歴史観を持つことが当たり前の世の中になった時、その時にこそ考えればいい」-

 これは戦後、アメリカ主導で仁徳天皇陵の発掘計画が持ち上がった時に一部の「堕落した学者」がそれに賛同したことを批判した文脈に書かれている。
 彼が本文中に書いた言葉で言えば、「戦後のゆがんだ歴史教育」と「軽薄なテレビや一部の新聞によって形成された世相」が戦後60年以上になる今も「曲学阿世」の学者を生み出し、このままでは「軽佻浮薄」で「魂も誇りも喪失した国」になると警告を発する。

 また、冒頭に書いた栃木の侍塚古墳群は、水戸黄門が本邦初の学術調査をした古墳として「あるべき発掘の姿」に挙げられている。
 水戸黄門は筆者曰く「日本人の精神史の中に太い背骨のようなものを打ち込んだ偉人」であり、その人が「高潔な精神」で行った発掘の事績が世に知られていないのは、「西洋中心の史観」が「影響を及ぼしている」と断言する。
 西洋中心の史観と水戸黄門がどう相反するのか不思議だが、学術調査の成果が考古学において有用でなければ、それが「本邦初」という以外に喧伝すべきものはない。古墳内に鎮魂の文書を残したのが感動的と言うが、水戸黄門だからできたのであって、現代の考古学者がそんなことをしたら「古墳内に有機物を持ち込むな」と大騒ぎだろう。

 ここまで読んでわかるように、筆者は天皇陵発掘者の条件として、「確固たる国家観、歴史観を持つこと」を挙げている。ここにはおそらく「外国籍」の者は含まれないのだろう。日本人でも、彼の言う「国家観」や「歴史観」と合わない者は、除外されていると思われる。

 しかし、考古学は学問ではないのだろうか。未知の真実を求めて、科学的、客観的な証拠をもとに論旨を組み立てるのが学問の姿だ。そのどこに思想や信条が入る隙間があるというのだろう。
 愛国心や確固たる歴史観がなければ陵墓を調査してはいけないというのなら、陵墓考古学はもはや学問ではない。ひとつの信念に凝り固まったある種の宗教結社であり、図らずも本人の視野の狭さを世にあらわしただけだ。
 このような偏狭な愛国心で語られ、科学的調査が置き去りのまま、別人として祭祀が続く被葬者と、ウソとわかっている墓を祀り続けねばならない人々こそいい迷惑と思うのだが。 






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