ヤマザキマリの偏愛ルネサンス美術論 を読む

 ヤマザキマリは、若いころイタリアで専門的に美術を学び、「食べるために」漫画家となったという、正統派の「絵描き」である。テーマの独創性はもとより、デッサン力の確かさや、長い外国生活によるコスモポリタン的な目線が、彼女の作品を独特なものにしている。
 これは異色の漫画家である彼女が、ルネサンスの巨匠たちをどう料理しているのか知りたくて買った本。


ヤマザキマリの偏愛ルネサンス美術論 (集英社新書)
集英社
2015-12-17
ヤマザキ マリ


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 「ルネサンス美術」というのは、ブリタニカ国際大百科事典の記述によれば
『14~16世紀,ヨーロッパ全域に興った革新的な美術』
のことで、古代文化における人間性の復活、自然の再発見、個性の解放を特徴とした。
 イタリアでは通常ジョットを先駆者としているが、ヤマザキマリは「変人度」という独特の物差しでフィリッポ・リッピから語り起こす。

 一般的に言って、芸術家には「変人」と呼ばれる人物が多い。要するにある特定のジャンルに偏執的で、芸術に昇華するほどの力量を持てば、名前や作品が残るということだろう。

 フィリッポ・リッピの何が変人かといえば、聖母マリアを、自分の奥さん(すごい美女だった)に似せて描いたこと。中世の常識では、宗教画には決まった様式があり、聖人が勝手に微笑んだり好きなポーズをとったりしてはならなかった。
 それを最初に打ち破ったのがジョットであるが、彼の絵にはまだ宗教色が多分に残る。一方のリッピは、図版で見る限り完全に宗教画の様式を逸脱しており、「中世」が完全に終わったことが、絵を見るだけでわかる。


 ♢  ♢  ♢

 脱線するが、大河ドラマ「真田丸」を見ていたら、長澤まさみ扮するきりが関白秀次からもらった板絵が、このフィリッポ・リッピの聖母マリアの絵だった(カラー図版で巻頭に載っている)。
 時間軸としては間違っていないようだが、地球の裏側まで模写が出回るほどの人気だったのだろうか。小道具担当者の趣味に合致しただけとは思うものの、まさかこの本をヒントにしたとか…?

 ♢  ♢  ♢


 筆者が変人度を基準に選んだメンバーは、章のタイトルになっているだけで19人。ダ・ヴィンチやミケランジェロなどの建築・美術の巨匠から、王様、詩人まで含まれる。
 ルネサンス論ではよく見かける顔ぶれで、人選に特に目新しさはないが、特筆すべきは筆者のイタリア体験に基づく人物の捉え方だろう。
 実際にそこに住み、そこでルネサンスの遺産に身近に触れた(しかもごく若いときに)事実が、彼女の語る個々の人物に重みを与えている。書物から得ただけでなはい、血肉の通った記述に、実際に体験すること、その場に立つことの重要さを教えられる。

 語り口は平易であるが、彼女がルネサンス論を通じて語りたかった主張は重い。
 人はほんの些細なきっかけで中世的閉塞社会を作り出してしまうもので、「人間が自由にものを考える」古代ローマ的な世界観を取り戻すまで、実に一千年近くの歳月が必要だった。つまり、疑問に思うこと、自分の頭で考えることを止めてしまえば、これから先も「暗黒の中世」に戻る可能性は充分「あり得る」ということだ。
 日本人にはいまいちピンとこないかもしれないが、西欧の知識階級は、ルネサンスからの五百年、ずっと「人間のあるべき姿」を模索してきたのだろう(実際には、今なお異文化異宗教との摩擦にてこずっているわけだが)。
 多様性を維持するのは難しい。それはこの数か月で世界中が学んでいることだ。私のような人間が属する庶民の自由な時代が、まだ終わっていないと思いたい。


 軽そうな出だしの割に、中身は意外と濃い本だった。強いて言えば、人物の前後のつながりを知るために年表が欲しいのと、白黒でもいいからもっと図版を入れてほしかった。新書ではこれが限界か。








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