伊豆の旅 後編
朝ごはんを食べてから、ホテルまわりを散策。
ホテルの一階は、部屋から直接プールに出られるようになっている。
もしかして、一階が一番高い部屋なのかな?
河津桜も咲いてるし~。
今日もかなり寒いけど、やっぱり伊豆は南国なのね。
砂浜も久しぶり。
ちょうど潮が引いたとこだ。
午後は雨の予報なので、そろそろ先へ進まなきゃ。
ホテルを出て、徒歩3分の今井浜海岸駅へ。
トンネルとトンネルの間にある、かなり無理やりな駅だけど、ホーム側は泊まったホテルと同じテイストの建物になっている。
伊豆急とホテルは同じ東急系列だからかな。
下りの普通列車で、下田まで4駅。
伊豆急下田は、いわゆる「終着駅」だった。
この構造、最果てまで来た、という旅情があって好きなのよね。
駅の改札は、関所&黒船・・・。
なかなかいいふざけ方。
歴史を紐解けば、下田は函館とともに「日米和親条約」で最初の開港地となったところ。
横浜で条約を締結したペリーが艦隊を率いて入港し、さらに細則を定めた(下田条約)ことから、下田の町はどこもかしこも「黒船」「ペリー」なのだった。
最初に街のランドマーク、寝姿山へ行く。
寝姿山は、標高200メートル弱、港の一番奥まった部分にある山で、いくつかのピークを持つ山容が、女性があおむけになった姿に似ているからその名が付いたとか。
3分半で山頂。それなりにたくさんの乗客がいる。
裏手に回ると展望台。
下田港は岬に囲まれた湾を持つ、天然の良港。
伊豆半島の先端近くという捕鯨船などが立ち寄りやすい位置にあり、喫水が深く、薪や水も豊富だったのだろう。
遊覧船も、もちろん黒船。
景観だけでは集客がおぼつかないと思ったのかどうか、山頂一帯は植物園のようにたくさんの花や樹木が植えられている。
こっちにきてから、「まるで手付かず」な自然を見たことがないような気がする。
もちろん、植えられた花に罪はないのだが。
蠟梅(ロウバイ)があちこちでひっそり咲いている。
梅の香りはいいものだ。
カメラのマクロ機能がうまく働かず、ロウバイした私(てへ)。
法隆寺の夢殿を模したという、縁結びのスポットも・・・。
調べたところ、何の由緒もないようだが(私が生まれた頃作られた)、イワシの頭も信心からというし、ケチをつけてはいけないのだろう。
小高いところには、幕末の「黒船見張り所」も再現されている。
建物の中には、当番の人の姿も。
あれから150年、世の中も変わったよね。
ロープウェイで下界に戻り、下田の町を散策。
駅から15分弱歩いたところが、開港当時の面影を残す通称「ペリー・ロード」。
かつては川面いっぱいに小舟が行き交っていたのだろう。
ペリー・ロードをさらに海岸まで進む。
ペリー提督上陸の地。
錨はアメリカ海軍から寄贈されたものだって。
それにしても・・・
寒ーい。
避寒に来たはずが、寒波到来で横浜より風が強くて冷える。
どこの観光地も空いているから、それはそれでいいんだけど。
駅前に戻ってゴハン。
私は炙りキンメ丼、黒猫はキンメの煮つけ定食。
キンメのとろりとした甘さがたまらない。
下田駅は、バスターミナルのような出札口。
機械の数より改札口が多いのは、それだけ団体客が多いということだろうか。
私たちが乗るのは、コチラ↓
やったー!
スーパービュー踊り子

荷物棚は、飛行機タイプ。
JR東日本にはこんな仕様があるのね。
もちろん先頭の展望車は取れなかったけど、ばっちり海側席で帰りも景色バツグン。
スーパービュー踊り子は熱海を出ると横浜までノンストップのため、乗り換えなどを考えると、新幹線ルートと時間もそんなに変わらない。
最近は珍しくなった車内販売もしっかりあって、旅の最後まで旅行気分を楽しめる、なかなかいいルートなのだった。
このお正月は毎日精力的に活動したな~。
今年一年、がんばろう(小さい声)。
☆おまけ☆
下田駅前にある、ペリーの乗艦サスケハナ号の模型。
最近黒船関連の本を読んでいたので、目に留まった。
この頃、世界の造船技術は日進月歩で、あっという間に外輪船は姿を消す。
下田の町は、マンホールも当然黒船。
河津では食べられなかった、「あんバタわさこ」。
パンの中に、たっぷりのあんことバター、わさびが・・・。
美味しい、というのではないが、甘さと辛さの配分が絶妙。
お土産に買った「わさび粗おろし」と「金目鯛かまぼこ」。
ちょうど恩師から地ビールも届いて、豪華な晩酌となったのであった。