サン・ファン・バウティスタ号



 夏が近づき、少し蒸し暑さを感じるようになった6月初旬。
 仙台の東、仙台湾に面する石巻市へ出かけた。

 目的は、この船 ⇩

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 サン・ファン・バウティスタ号という。



 時代を遡ること四百数年、江戸時代の初期。
 ここ仙台の伊達藩は、スペインの技術を用いて長距離航海に耐えうる帆船を現石巻市内にて建造し、使節を西欧に送った。
 その船の名が、サン・ファン・バウティスタ号。

 その後の鎖国、キリスト教禁教などでこの船や使節のことは忘れ去られていたが、伊達家中や訪問先のスペイン及びローマ教皇庁に資料が残されていたこともあり、昭和も終わりになって、県内では復元する機運が高まってきたらしい。
 時代もバブルだったし、ビックリするほど募金も集まり、一気に復元船が建造された。

 というわけで、ここにあるのはその復元した船。

 以前に住んでいた頃、船が復元されたばかりでさかんに宣伝されていたが、係留施設の入場料が高いのと、自家用車を持っていなかったこととで結局見ずじまいであった。

 この春、ニュースで「老朽化により今年度中に解体」と聞いたので、せっかくだから一度くらい見ておこう(何しろ乗り物好きだしね)、と出かけてみた次第。



 係留施設は、その名も「サン・ファン館」という、南欧風の中庭を持つガラス張りの建物。

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 老朽化で船に上がれないことから入場料は半額。
 コロナのせいか、元々流行ってないのか、お客はほんの数人。
 どうみても、従業員のほうが多い。

 施設は小高い丘の上にあるが、そこから東京駅の京葉線もビックリな長いエスカレーターで係留ドックに降りていく。

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 じゃーん、ご対面。

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 全長55メートル強、総トン数約500トン。
 江戸時代の初め、これで太平洋が往復できたことにまず驚く。
 幕末の咸臨丸でもこれより少し大きいくらいらしいから、帆船というのはこの程度が使い勝手のいいサイズなのかも。
 船は技術的に大きくできても、入れる港が限られては本末転倒だし。


 外観は、風雨に晒されてちょっとくたびれた感じ。
 安全上、船の近くに寄ることはできず、船尾のほうから遠巻きに眺める。
 ドックの周囲も本来は展示コーナーなのだが、ここも震災の大津波に襲われ、破壊された。

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 震災当日の写真によれば、ドック脇の展示コーナーは天井まで波が押し寄せ(上写真に表記あり)たが、船は「浮かぶ」ことができたため、奇跡的に無事だったようだ。
 とはいえ同じ年、一帯を暴風雨が襲い、せっかく無事だったマストが二本も折れてしまったとか。
 
 その後、県の予算で補修が叶い、再び往時の姿を取り戻したのが今見る船。
 しかし建造から30年近く、津波のダメージもあって大規模な補修が必要なものの、金銭的・技術的に難しいことから、議論の結果、解体する方向で話が進んでいるらしい。
 もったいないとは思うものの、仕方のないことなのだろう。
 横浜港の日本丸でさえ、保存していくのが大変だという話だったから。


 ちなみにこの船、ちゃんと浮かぶし帆も張れ、仙台港にも東京湾にも出かけているが、自走するための免許がないので曳航されないと航海できないらしい。
 動かす人間じゃなく、船自体に免許が必要とは知らなんだ。
 車でいうところの車検みたいなものかな。


  ♢  ♢  ♢

 話を元に戻して、江戸時代のサン・ファン・バウティスタ号のはなし。

 史実によれば、伊達政宗の命を受けた家臣支倉常長(はせくらつねなが)は、スペイン大使ビスカイノ、宣教師ソテロら総勢200人ほどでサン・ファン・バウティスタ号に乗り込み、現メキシコに到達した。
 支倉常長はその後、スペイン船に乗り換えて大西洋を横断し、スペインでは国王フェリペ三世、ローマでは教皇パウロ三世に会い、出港から7年後に日本に帰還した。
 この間、サン・ファン・バウティスタ号は一度フィリピン経由で日本に戻り、再度太平洋を渡って支倉らをメキシコからフィリピンへ運んだ。つまり、太平洋二往復
 この7年の間に、日本では鎖国・禁教政策が始まっており、船はフィリピンでスペインに買収され、別船で仙台に戻った支倉常長は失意のうちに病没、ソテロも密入国で処刑された。船のその後は不明だとか。

 いつの世も、個人は時の政権、政策に翻弄される存在だということがよくわかる。
 支倉家はその後お取りつぶし、再復を経て、現在も子孫が仙台市内に居住しているとのことだ。

  ♢  ♢  ♢


 サン・ファン館にはこの通称「慶長遣欧使節」に関する資料や、震災関係の記録などが展示されている。

 今年は常長の帰国(1620年)から400年ということで、仙台市博物館でも慶長遣欧使節関連の展示を行っており、そこには伊達家が所蔵していたローマ法王の肖像画や、常長に与えられたローマ市民権証書(国宝!)などがあるらしい。
 幕府をはばかり表向きは「なかったこと」にしながら、伊達家、よくぞ関係資料を保存していてくれました!って感じ。
 人出の少なそうな日を選んで行ってみなければ。



 帰り道、石巻市内を通るついでに、「あの場所」へと寄ってみた。

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 テレビでいやというほど見た、日和山公園。

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 あの日、雪の中を住民はこの階段を上ったのだ。
 そして、自分たちの街が波に呑まれていくのをなすすべもなく見ていた。
 部外者の私が想像することすら辛いの出来事を、目の当たりにした人々の衝撃はどれほどだったか。

 あれから9年、「復興五輪」だったはずの東京オリンピックは新型コロナで延期となり、被災地では観光客もいなくなって、復興に水を差された感が大きい。
 自然災害や疫病に対しては、人間はこれほどに無力なのだ、ということを改めて感じる令和の夏だ。




☆おまけ☆

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 船の中で支倉常長が使っていたベッド(もちろん復元)。
 全長130センチ。
 こんなに身長が低かったのか!と思ったが、説明板には手足を踏ん張るようにして寝た、と書いてあった。
 なるほど、木の葉のように緩れる小型船の中では、普通の寝床だと転がり落ちてしまうに違いない。
 青函フェリーだって、時化で波頭から落ちる時には、床から体が浮くような気がしたものね。
 



 

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