慶長遣欧使節と政宗の野望
雨模様の一日。
かねてより気になっていた、仙台市博物館に出かけた。
今年は支倉常長帰国400年ということで、博物館収蔵の「慶長遣欧使節関係資料」が公開されているのだ。
慶長遣欧使節関連の話題はこちら(6月6日の記事)
仙台市博物館は、青葉城の三の丸にある。

エントランスには七夕飾り。
そういえば、本来なら今日は七夕まつり最終日だった。
今年は新型コロナの影響で東北の大きなおまつりはすべて中止。
何ともつまらない夏になったものだ。
さて、博物館。
ここは伊達家から寄贈された物品を展示するために開設されたらしく(土地も伊達家から)、展示物のほとんどは仙台藩に関係したもの。
珍しく、常設展は撮影自由。

伊達政宗の甲冑。
この兜、昨今はやりのソーシャルディスタンスを取るにはばっちり?
巷の噂によると、ダース・ベイダー卿の黒い装束はこの衣装がモデルなんだとか

政宗が豊臣秀吉や徳川家康とやり取りした三者の直筆書状などもあり、東北の雄藩らしく、それなりに見栄えのする収蔵品がてんこ盛り。
それはさておき、今日の目的は特別展のほう(追加料金なし)。

こちらが、「慶長遣欧使節関連資料」。
向かって左がローマ教皇パウロ五世像、右が支倉常長像、中央下がローマ市民権証書。
三点ともすべて国宝


ローマ市民権証書は幅90センチ弱とけっこうな大きさの羊皮紙で、支倉常長の名前などがラテン語で記されている。
当時のローマは現在のような統一イタリアの首都ではなくハプスブルグ家の支配下にあったので、市民権にどれほどの価値があったかはわからないが、地球の裏側からやってきた「平たい顔族」にわざわざ与えたくらいだから、それなりにありがたいものであったのだろう。
油絵は四百年前に描かれたとは思えないほど状態がいい(修復したのかどうかは不明)。
どちらも現地で制作され、常長がサン・ファン・バウティスタ号で持って帰ってきたもの。
常長の絵は、油絵に描かれた日本人としては現存する最古のものだとか。
パウロ五世の絵は「普及品」らしいが、常長が記念に市中で求めたか、下賜されたのだろう。
ちなみにこのパウロ五世、ごりごりのカトリックだったらしく(教皇なので当たり前だが、彼以前の教皇には世俗的でリベラルな人も多かった)、ガリレオ・ガリレイに会って地動説を捨てるよう命じたものこの人。

こちらは伊達政宗が教皇に宛てた書簡。
本物はバチカンにあるはずなのでコピーかな?
縦長のほうがラテン語で書かれたもの、横長のほうは日本語。
和紙に金泥を施してあり、これを見た西洋人は「ヤポンの文化、すげ~」と思ったのではないだろうか。
この文書では(市民権証書も)伊達政宗の表記は「ydate」になっている。
実際そんな風に聞こえる発音だったのか、ラテン語表記に何かそのようなルールがあるのか私の知識ではわからない。
伊達の「伊」から実はイダテと発音していたのかも?
支倉常長の方は、「ファシェクラ」。
古い時代はハ行がファフェ・・・と発音されていたと聞いたことがあるけど、東北弁だからもあるかな?
支倉常長のヨーロッパ来訪は現地で大きな話題になったらしく、彼の動向を記した本が現地で発行され、版を重ねたことも分かっており、それも博物館に展示されている。
常長が鼻をかんで捨てた和紙を、人々が拾って「この不思議な薄い布は何だ・・・」みたいな話も

改宗した常長が持っていたと思われる、十字架などのキリスト教関連資料も多く、江戸時代を通してこれらの資料を隠し通し、その価値を見損なわなかった伊達藩の見識の高さが偲ばれる。
おかげで政宗と常長の歴史的事業が後世に残ることになったのだから。
ところで、そもそもの使節の目的は、日本とスペインの貿易のためであった。
幕府を差し置いて政宗が使節を送ったのは、彼が家康から外交権を委託されていたからだとか、政宗が外国勢力を背景に打倒徳川家を目指していたからだとか諸説あるが、いずれにせよこの「日本初の対欧外交交渉」は実を結ばなかった。
もしこの交渉が成功していたら、伊達家が徳川家に取って代わって、仙台が東京ならぬ「東北京」になっていたかも!
おそらくフィリピンのように、スペインの植民地になっていた可能性のほうが高そうだけど。
歴史とは数々の選択の中から偶然を選んで成り立っているのだなあ、としみじみ思う。
☆後日談☆
この次の日、博物館の天井に設置されたパネルだかが落下して、点検と修理のため、博物館は二か月ほどにわたって休館になった。
再開した時には展示替えが行われていて、私たちが行った日が、結果的に慶長遣欧使節関連資料の最後の展示日となったのだった。
見れてラッキー

(前回の展示は7年前だったらしいから、次まで仙台にいるとは限らないし!)
☆おまけ☆

仙台市博物館の最寄り駅は、地下鉄東西線の「国際センター」駅。
駅舎の前庭に、静香ちゃんと羽生君の「金メダルおめでとうモニュメント」があった。
ここに設置されたのは、博物館の横にある五色沼という堀が、日本のアイススケート発祥の地なんだからだとか 。
二人とも地元の大スター、特に羽生君はいまだに本屋に特設コーナーがあるほどの人気ぶり。

博物館のお手洗いの標識。
男性用が政宗、女性用が妻の愛(めご)姫。
最近はジェンダーレスなお手洗いも増えているらしいけど、やっぱり男性と共用は何となく抵抗がある。
今どきの若い人は気にしないのかな・・・
