千島列島をめぐる日本とロシア を読む

 北方領土。
 道民なら、誰でも知ってる北方領土。
 どこにあるかも知ってるし、「終戦時のどさくさ」にソ連に占領され、日本人が追い出されちゃったのも聞いてる。
 でも、「北方領土」がいつ日本の「正式な領土」になり、どんな歴史をたどって1945年に「ソ連の占領地」になってしまったのか、詳しいことはよく知らない。固有の領土と言ってるからには何か拠りどころがあるのだろうけど、そもそも定住していたのは先住民のはずだから、日本のものでもロシアのものでもない時代があったはず。彼らはいつどうやって日本あるいはロシア(ソ連)に帰属することになったのだろう。

 そんなことをここ数年考えていたら(のんきだね)、たまたま道新の書評が目に入った。
「通史の決定版」。これは読んでみるしかない、と早速購入。


千島列島をめぐる日本とロシア
北海道大学出版会
秋月俊幸


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 内容は、千島列島の地理気候に始まり、先住民族の分布、文献上に現れる千島の記述、ロシアと松前藩~大日本帝国が千島を南北からそれぞれ蚕食してゆく過程、そして第二次大戦中の千島の状況と、時系列で語られる。
 前半は、千島や樺太が「発見」されていく過程がおもしろい。北緯45度という中緯度において、最も最後まで地図上の空白だったのが北方領土を含むオホーツク海域だったというのが驚き!

 十八世紀に世界地理に登場してから太平洋戦争終結までの間、この地域は目まぐるしく変化していく。蝦夷地は松前藩が「経営」していたが、世界情勢の移り変わりに対応すべく幕府が乗り出し、ここに近藤重蔵や間宮林蔵などの探検家が登場する。明治になると和人が蝦夷地に押し寄せ、北海道は隅々まで日本政府の支配が及ぶようになるが、ロシアとは領土と漁場をめぐってつばぜり合いを繰り返す。樺太領有をもくろむロシアに千島と南樺太を交換されられ、小国の悲哀を味わったものの日露戦争で南半分を取り返し、オホーツク海は一大漁場となって、南千島(択捉島以南のいわゆる北方領土)では日本人の定住も進んだ。

 ここで重要なのは、南千島には一度としてロシアの覇権が及ぼされたことがなかったという事実だ。そのため、日本人は南千島が自国の領土であることを疑う必要がなかった。そのことが、サンフランシスコ平和条約における「千島放棄」の文言をめぐって、ソ連につけ入られる原因を生み出す。

 日本政府にとっての千島とは、樺太千島交換条約により得た得撫島以北の地であったが、ソ連にとっては「クリル諸島」、つまり国後島から占守島までのすべての島々のことを意味していた。それを「放棄」したのだから、今更一部は日本のもんだって言われてもね、というのが彼らの理屈なのだろう。うがった見方をすれば、当時の政府と通訳がどれほど千島事情に通じていたか、それが文言の正確性を欠いたとも考えられる。まあ、ソ連は北海道の半分も占領するつもりだったのだから、条約に何と書こうと一緒だったかもしれないが。

 一方、同様に日本人が追い出された南樺太について日本政府は何の文句も付けていないところをみると、あそこはロシアから分捕った植民地と思っていたのだろう。そうでなければ資源と土地の広さで断然有利な樺太をすんなり手放すはずがない。


 本書は私の最初の疑問にも答えている。
 先住民族がどのように日本人、あるいはロシア人になっていった(させられた)か、日露のはざまで、どのような扱いを受けていたのか。筆者は淡々と事実を書き連ねているだけであるが、読んでいるこちらがつらい。
 戦後、樺太や千島にいた日本人は、ソ連によってすべて追い出された。このとき、朝鮮人は(おそらく使役するために)残されたが、先住民は彼らが望むと望まざるとにかかわらず「日本人」として退去させられた。「これらの地域の先住民アイヌは古くからの先祖伝来の地を失うことになった」と書く筆者には、静かな怒りが感じられる。

 
 著者は北大系のいわゆるセンセイ。一般向けに書かれているが、中身が濃すぎて(苦笑)学術論文を読み慣れていないとちょっと重いかもしれない。







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